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東京高等裁判所 昭和53年(く)359号 決定 1978年9月19日

少年 T・A(昭三六・一〇・一生)

右に対する虞犯保護事件について、昭和五三年八月一六日横浜家庭裁判所がした中等少年院送致(およびこれに伴う保護観察取消し)決定に対し、少年本人から抗告の申立てがあつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告の趣意は、抗告申立人本人の提出した抗告申立書に記載のとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに少年を中等少年院に送致した原決定の処分は著しく不当であるというのである。

しかし、記録を検討すると、原決定が「中等少年院に送致する理由」と題してくわしく説示しているところはまことに相当と考えられる。すなわち、少年は年少のころからたびたび非行をくり返し、昭和五一年二月窃盗、虞犯保護事件について初等少年院に送致され、翌五二年三月仮退院となつたが、その後も無免許でオートバイを乗り回して同年九月不処分、同年一〇月不開始の処分を受けたほか、暴走族のグループに加入したりして乱れた生活を送つた末昭和五三年三月暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、傷害、不法監禁保護事件で保護観察処分を受けたが、その後も定職につかず、二か月足らずで眉を剃り、頭髪を染めたり、シンナーを吸引して暴定族の集会に参加したり、車の無免許運転をくり返すなどの生活をしているものであつて、もはや保護者としての監督はできない状態に至つているのである。

以上の事情と本人の性格上の諸問題点とを併せ考えれば、すでに在宅保護の限界をこえていることは明らかであり、施設における矯正教育にまつほかはないと認められるから、原決定の処分は相当でありこれが著しく不当であるとは考えられない。

論旨は理由がない。

そこで少年法三三条一項により主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 新関雅夫 裁判官 渡辺達夫 小田健司)

参考一 原決定(横浜家昭五三(少)三九六八号・昭五三・八・一六決定)

主文

少年を中等少年院に送致する。

当裁判所が昭和五三年三月三日なした少年を横浜保護観察所の保護観察に付する旨の決定はこれを取消す。

理由

(審判に付すべき事由)

少年は、保護者の正当な監督に服さず、シンナー遊びや無免許運転を繰り返し、頭髪を染め、暴走族等の不良性のある者と交際しては無為徒食の毎日を送つており、その性格、環境に照らして将来罪を犯すおそれがある。

(法令の適用)

少年法三条一項三号イ、ハ、ニ。

(中等少年院に送致する理由)

少年は幼少時より祖父母の溺愛のもとに育てられ、両親の愛情に恵まれない代りに欲しい物は何でも買つてもらえるといつた生活に馴れ親しんでいた。そして小学校卒業時頃より恐喝等の非行が始まり、中学校に入学後は祖父母への暴行、窃盗、シンナー吸入、性体験、無免許運転による人身事故等が相次ぎ、昭和五〇年一〇月六日教護院○○学園に入園の措置がとられたものの、学園の指導に服さず、寮生に対する乱暴、数回にわたる無断外出と外出中の窃盗事件等が重なつた為、昭和五一年二月二三日、当庁で初等少年院送致決定を受けた。少年は昭和五二年三月一五日に初等少年院を仮退院してしばらくの間は真面目な生活を送つていたものであるが、仮退院中の保護観察期間中であるにもかかわらず、約三か月後からはオートバイの無免許運転を繰り返すようになり(同年九月、当庁で審判に付され、不処分決定となつた)、同年一一月頃には暴走族○○○○○に加入しては金曜日の打合せ幹部会や土曜日の集会に参加し、頭髪を茶色に染め、昭和五三年一月の暴走族の仲間約二〇人による集団傷害事件に加担して同年二月横浜少年鑑別所に入所している。このとき少年は調査及び審判を通じ、今後は絶対暴走族とも手を切り、仕事もきちんと働く旨を固く誓つたので、同年三月三日少年は改めて保護観察に付せられ、在宅処遇による指導と少年の自覚に期待するところとなつた。しかるに二か月もたたぬうちから眉を剃り、頭髪を染め、仕事もしないでシンナーを吸い、土曜日の夜になると暴走族の集会に参加するといつた以前の生活に戻つてしまい、保護観察所及び両親の指導監督ももはや少年を規整する力を失つている。

ところで少年のこのような日常生活の崩れの要因としては、内制力に乏しく自己中心的な性格に加え、遊びへの志向が強く安易さや怠惰な生活を好み、非行に対する馴れが多分に出てきているところにあると思料される。更に、少年は過去の審判においても、又担当保護司や保護観察官、裁判所調査官との面接においても表面的にはひたすら恭順反省の色を示し、自己改善の意欲があるように見せかけ、従前それらが一応の功を奏してきた結果、少年がこの種の問題を甘く考え、結局少年の内省化を阻害してきたものと認められる。

そこで以上述べたような少年の日常生活、資質及び環境並びに保護観察の経緯等を総合するならば、少年を再度少年院に収容し、専門家による基本的な日常生活の再教育から始まる矯正教育が必要と判断されるので、少年を中等少年院に送致することとし、少年法二四条一項三号、少年院法二条三項に従つて主文のとおり決定する。

参考二 抗告申立書

理由書

私は昭和五十三年八月十六日横浜家庭裁判所において中等少年院送致の決定を受けましたが、処分について不服がありますので抗告します。

一、ぐ犯事件について

今年の五月下旬と六月初めにシンナーを吸つてしまいました。その頃私は次の仕事である配管工の仕事に着くまでまだ日数が余つていたため家に居ました。そしてずつと家で落ち着いているのも体屈だからといつて外を出歩いている所、以前つきあつていた友達に会つてしまい、シンナーをやろうと誘われ、注意してやめさせる事も断る事もできず一緒になつてシンナーを吸つてしまいました。けれど六月初め以後仕事に着いてからはやつていません。

判事さんは審判の時、私に対して「君はシンナーをやめられないから中等少年院に行きなさい」と言われました。シンナーをやめられないと言われても私はとつくにシンナーをやめていました。やはり一回でも二回でもシンナーを吸つたという事はいくら友達に誘われたからといつてもやつてしまつた自分が悪いし、自分にとつてもマイナスになる友達と一緒に居た自分が悪いと思います。次の職業に着くほんの少しの間でもめフラフラ出歩いたりせずに家にいたら悪い友達にも会う事もなかつたと思います。でも、なんといつても友達がシンナーをやろうと言つて悪い事だからダメだと注意してやめさせる事ができずに一緒になつてやつてしまつた事は自分が悪かつたと深く反省しております。

二、生活設計について

今後は自分の行動というものにしつかり責任を持ち自覚し節度のある生活をします。そして以前自分が好きで選んだ調理師の道へ戻り、両親も近いうちに飲食店を経営するという目標があり、私も以前働いていたレストランに調理師として戻り定職に着き、私も店を経営するのが目標で両親と目標が一緒なので親子三人で協力し早く目標を達成する為にも私も一大決心をして死んだ気になつて頑張ります。

右のとおり私は一日も早く社会復帰して真面目に生活するつもりでしたので、中等少年院送致を決定する前にもう一度、審議してほしかつたと思います。

私にもう一度機会を与えていただきたいと思います。

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